で、「Tokyo Graffiti #001」を読んでますよ。
東京のストリートでのスナップとインタビューでできてる雑誌。モノやブランドに拘泥しないとこがちょっと気になって。みんななんでこんなにキレイ(かっこいい、とかわかいいとかじゃなくて)なんだろう。秋葉原の人々や地元の年寄りまで。
ものすごく、自分の知ってる東京じゃないとこが不思議だ。

しかしなんだかわからない雑誌。

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むかし友人(女性)の実家が新築して、そこへ遊びにいった。東北の新幹線のとまる駅。そこでちょっと面白かったのが、すごくモダンで広いアメリカ人みたいな家の中を友人がいろいろ案内してくれたんだけど(その友人は片付けられないひとで、そのひとの生活してるとこだけすごいことになってたが)、どの部屋もサイドボードに置いてある物まで細かく整頓されて、デザインされているような感じだった。お母さんがコントロールしてるという。
印象に残っているのは、そのお母さんの部屋の窓際の棚においてあった大量の写真スタンド。小さいの大きいのいろいろ20個くらいあるそれらは、全部無名な白人のポートレイトだった。家族でも知り合いでもなんでもない。

その素敵な家の自分の考えた理想な空間に、自分たちみたいな日本人が住んでいるというのがコントロールできない限界として、残念に思ってたんだろうか。そんな気がした。

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この雑誌を読んでる自分もたいしてかわりないのだ。そう思える。この雑誌に住んでるようなひとじゃないから、かわりにここに置いておいて、読んでるのか。
いや、自分や自分の知ってるひとたちも、スナップに収まってこの雑誌に住むことになったら、こう見えるのか。考えられない、な。

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といいつつ、数年前に娘がおはスタの小学校でののスナップみたいなコーナー(アド街のパクリのあれ)に出たときは、ああキレイだな、と思ったんだった。知ってる場所で知ってるひとなのにね。