Lambchopはむつかしい

昨日から今日の通勤にかけて、Lambchopの昨年の「OH (Ohio)」をじっくり聴く。やっと、各楽曲が判別できてきたかんじ。通算再生は100回はまだ超えてないかな。アルバムを数回聴いたときの感想は、レナード・コーエンだったけど、ボーナスのEPでカバーしてたのは笑った。

(ここ数年の)Lambchopはむつかしい。
このナッシュヴィルの変なグループ、というかKurt Wagnerの音楽は、米国ルーツ音楽についてリスナーがクリシェ的(学習的?)に使う、○○なとこがいいなぁ、というものはすべてない。また、ちょっとあるそれらを過大評価してもしょうがない。そういう音楽。
メロディだって、うっすらとしたメランコリーというか、倦怠というか。フックなんてものはない。
Wagnerがすべて、というものでもない。背景に書き込まれたサウンドを練り上げている、10数人のミュージシャンがいて、Lambchop。誰が抜けたとか(Deanna Veragonaが抜けてるのは、あれ、とちょっと思いました)、あまり意味はないが、背景がある、というのは意味がある。
で、そんなではあるけど、カントリー領域と認識されている、というギャップに前衛さを感じて、よい、とかいってしまわないように、注意。

背後で流していて、ふと引き込まれる、というものじゃなくて、じっと聴き込まないと、たどりつかない音楽。

なんで、俺はこれが好きかね。わからないです。なので、好きなのかもです。
昔、ライターのまねごとをやっていたころ、詩的な表現以外では、美しいきれいすばらしい、というのは使わないようにしてました。もっとスペシフィックな表現を好んでました。この音楽は、スペシフィックな表現がむつかしい。ただ美しいから好きです、といってしまいたい、のデス。

Oh (Ohio)

Oh (Ohio)