10時過ぎに起きて、でもまだ眠い。しゃきっとしないといけないので(今日はコード漬けの予定)これからシャワー浴びる。こないだ買ったカート・ローゼンウィンケルを聴きなおす。どよんとしたいまの状態で聴くと、ギターよりブラッド・メルドーの訥々としたソロに耳がいく。
ちょっとわけのわからないメモ文章を書きます。推敲ゼロ。
ビル・エヴァンスが最近よく聴けるようになったんだが、昔は全然だめだった。テクニックに糊塗されいる表面ばかり耳について。そのころは、モンクとマル・ウォルドロンばかりだったな。他の音楽ジャンル、特に極北なものを聴きこむにつれ、やはりなにか集積されたものがあるんだろう。
当時量はこなしてたがさらっと流していたものを再度聴いてみようかな。ハンク・ジョーンズとか。こないだのマル・ウォルドロン「Quest」を聴いてて、ロン・カーターに興味が出てきたので、ドルフィがらみのあたりから聴いてみようかな、と思う。
60年代後半から70年代のジャズの(特にベテランミュージシャンによる)行き詰った感覚は、テクニカルな面と当時の状況の両面から実感できそうだ。もうちょっとここらへんの年代を聴いてみたい。そのころジャズ的に響くと思ってたロックのほうのスティーリー・ダンが、もっと本質的に当時のジャズの一面を代表していると感じられるようになってる。
思弁的なノイズと糜爛した麻薬的なリリシズムの両方の流れがあり、統合というか併せ持っていたのは欧州フリー(とコルトレーン)。欧州フリーにあったルーツ指向(アイラーの影響?)を、アメリカで黒人以外で獲得できたのは90年代のアメリカーナ的動きとの連動からか。
当然このあとパンクが必要だったわけだが、まだそこまで再履修してません。CD持ってません。

ぐだぐだ。