12時前に起床して、家族がだれもいなくなってから(子供は昨晩からジジババ家へ、女房はダイエット目的の長距離ウォーキング)、今日返却しないとならない「雲のむこう、約束の場所」を観る。いまは「下妻物語」を流しながら、先週きてたCDを整理。
感想はない。
他所に積んである状態なら、「ま、そのうち」というどっしりした心境でいられるのに、自分所に積まれたとたん、仕事のようにこなすようになる。いいじゃないか、ここに積んであったって。

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下妻ついでにDJ-1Rの思い出を書き留める。
大学生(19歳くらいか)のときの原チャリはライムグリーンのDJ-1Rだった。埼玉方面の知り合いによりリミッタははずれていた。時速100キロは出る!といわれていたが、怖くて80キロがせいぜいだった。
ある夏の晩、むわっとする夕立のあと、午前3時くらいに、むしゃくしゃしてて走りに出かけた。だれもいない千川通り*1は信号がまたオールクリーンで、気持ちよく80キロで飛ばしているうちに、風圧でメットが下がってきて前方上方の視界が不全に。ふと首を持ち上げたら10メートル先の信号が赤だった。
つっきりゃいいものを、根が真面目なだけに、フルブレーキしてしまい、しかもそこはマンホールの上だった。
たちまち転倒し、高速に前転を繰り返す自分と、その脇を横倒しになり火花を散らしながらスピンして併走しているDJ-1Rがいた。「こっちくるなー」と心で叫びながら、ゲタゲタ笑いながらその瞬間を楽しんでいた。
気がつくと、交差点の真ん中に大の字に横たわる自分がいた。体を動かすのが怖かったが、擦り傷以外はないようだった。交差点の公衆電話で電話をしていたひとが、大丈夫ですか、と声をかけてきたので(周囲はほかにだれもいない)、手を頼りなくふった。
むっくり起き上がり、DJ-1Rを起こし、スタータを押すとエンジンがかかった。そのまま乗って帰った。その後また別なことで、DJ-1Rは壊滅的なダメージを受け乗ることはなくなったが、またそれは別な話。

*1:最近おしゃれと聞いてるがいったいどうなったんだろう