えーと
巡回先で長文にぶちあたり、3回ほど読んで、とりあえずページの隅の鉛筆メモみたいなもんで。ただ思ったことだけ、だらだら。直接内容と関係ないですし。感想ではないです。
- どんなもんでも、シーンなんてありゃせん。たいがいが、ミュージシャンのつながりでしかなく(つまりローカルなシーンとよくいいますが、ローカル以外なシーンというのは想像つかない)、リスナーにとっては録音の鉱脈以上の意味はない。
- マーケットや、音楽販売の戦略は、リスナーには、あまり関係ない。というか、そういうものに興味がまったくないし、資源を振り分けられない、という位置。ズルイ?
- けれど、そこに組したら、自分の好きな音楽は全滅。
- 歴史は厚みがあることでリファレンスとなるという意味で重要。歴史とマーケットを混同しない。
- 芸能界の仕組みをあげつらっても、音楽とはあまり関係がない。
- ウワズミを掬おうと思ったら、けっこう泥まみれにならんと。
- けれど、黄金だけに価値があるわけでもなく。河原で拾った変な形をした石や、好きな女の子がくれた落書きもお宝。八百万余の神さん。
- 近所でやってる/自分でやってる音楽は大切。本場の出張所じゃなんかじゃ、絶対ない。でも芸能界/テレビは別にまったく大切じゃない。
- オリジナルとのいろんな意味での距離(物理的、文化的、時間的…)がもたらす豊穣さは、欧米のマイナー音楽の例に限らない。
- 小学校の音楽会ですら
- ときどきやる自分脳内妄想酒場での競演という場所で、くらべっこするのが面白い。「あーそれおれのあそこの…」「てへへ、でもこうやるとまた別な面白さが、なんちって」「ふむふむ、んじゃ、これはどうよ」みたいな妄想が自分好きすぎる。または、オリジナルを前にしてうなだれちゃってる様子に励ましたり(余計なお世話)。
- で、実物が語り合ってるんじゃなくて、ジャケ同士だったりしますが。
- 自分はなんでこれを良いと思うのか、良くないと思うのか、という自問自答の形に読むときに脳内編集すると、すっきりする。
- ちょっと大瀧詠一の分母分子論とか再読したくなった。
- ↑あー、自分はやっぱり80年代的な相対的な見方を「しないと」という強迫観念に縛られてるな。でもまあ生まれと育ちは変わらんし。
あ、午前中にやる仕事があった…